SAEKO (Vo.)と Koichi(Gt.)以外の正式メンバーがなかなか定まらない INSANIA だったが、メンバーオーディションに並行してライブ活動を続行する中、1999年の MARI(B.)加入を機に FAIRY MIRROR と改名。自主制作テープをリリース、活動範囲も大阪から神戸、東京へと拡大する。 そして全オリジナルメンバーが揃った2000年春には自主制作CDRをリリースし活動も本格化。東京や大阪などのFMラジオでも FAIRY MIRROR の曲がかかり始める。また Lights Out Records から発売された日本の HM バンドのコンピレーションアルバム(他には陰陽座も参加)にも2曲を提供し、SAEKO 自身もレーベルからソロアルバムのオファーを受ける等、チャンスは近づいているかに見えた。
しかしまたそれは、SAEKO にとって一つの苦しみの始まりでもあった。レーベル、ライヴハウス始め周囲はもちろん彼女の成功を望んでいた。が、彼女は成功したいのでは無かった。苦しみや恐怖の中に見出だした希望や信じる力を、音楽を通して一人でも多くの人に伝えたい、それだけが彼女の歌う理由、いや生きる理由だった。自分が歌う目的と周囲が期待する成功の微妙なギャップに彼女は苦しみ始める。加えて変らぬ家族・親戚の無理解、バンドのリーダーとしていつしか溜め込んでいた長期間に亘るストレス。現実社会からは余りにも遊離して見える超純粋、理想主義的な生活信条。さらには連日睡眠時間3時間といった日々が招いた過労 etc. が複合的な原因となり、2000年の暮れ、SAEKO は倒れた。そして入院。
しかし、自身がミュージシャンでもある Lars は違っていた。音楽に対する姿勢・信念に共通するものを感じた SAEKO は、2003年1月、TORNADO STUDIO でテストを受ける。情熱の限りを込めて課題曲を歌う彼女の歌声は国や文化の壁を越え Lars の心を動かした。「信じる音楽の為に一人で海を越えて来た、生き方そのものがメタルだ! それがそのまま歌に出ている!」と、すぐにプロダクション契約を交した。因みにこの時の課題曲が1stアルバムに収録の“Sinners for False Lights”である。
2005年初夏、再びLars Ratzプロデュースによる2nd アルバム「LIFE 」のレコーディングが始まる。今回は歌詞のみならず楽曲も全て(カヴァー曲 MY WAY は除く) SAEKO 自身によって書かれ、アレンジは前回と同じく Lars と M. Ehre が担当。演奏は、Key/Pianoを SAEKO、Gt./Dr. は M. Ehre、Ba. が井上真理子、そしてギターソロは、夏のフェスティバルでステージを共にした柳ヶ瀬聡子が弾いている。 2nd「LIFE」では、”理想と現実の狭間”で誰もが経験する葛藤、闘いといったものがテーマとなった。SAEKO は言う。「私にとって、生きるとは、自己の理想を目指して目の前の現実と格闘すること」だと。
作曲、録音時は日本帰国など全く考えていなかった SAEKO だが、不思議なことに「LIFE」最後の曲 Eternal Destiny(カヴァー曲 My Way を除く)は次のように終わっていた。
Now I go back(今、私は戻る)/ It’s time to say good bye(別れの時が来た)/ Don’t cry(泣かないで)/ Soon I will meet you again(すぐまた会えるから)/ I will leave a piece of me in you(私のかけらを君の内に残して逝くから)/ Deep inside(魂の奥深く)/ Please remember me(どうか私を覚えていて)
更にカヴァー曲として選んだ My Way の歌詞も帰郷についてだった。まるで彼女の帰郷と活動休止を予言するかのように…。 2006年3月「LIFE」完成 LIFE を完成させた SAEKO は、帰国を前に次のように語った。